スマホばかり見て罪悪感たっぷりのあなたへ
あれもやらなきゃ。
これも。
あー、あれもあったんだ…。
頭の中で考えていると、あれもこれもと課題が浮かんで『もう無理だ』『多すぎる』という感覚になってしまいませんか?
で、どうするか。
そう!
スマホの出番です。
やる気が出たら課題に取り掛かるから~。
やる気が出るまでスマホ見とこ。
で、結局スマホを見続けて1日が終わる…。やっちまった~!!
あるあるです。中高生あるある。
ってか大人になっても、あるある。もう、分かりみが深すぎる。私もやっちゃう。
そんなあなたに(私にも)提案です。
スマホを触る前に、まずはこれだけはやってみて。
リスト作り!
課題に取り組まなくて良いから、やらなきゃいけないことリストを作る。
- 課題の数々を紙に書き出しましょう。
- そして、それぞれの課題に対して、どれくらい時間がかかりそうかも書き加えます。
☐ 古文復習(20分)
☐ 数学課題(45分、11/13まで)
高校生くらいだったら、大抵は1時間以内に出来ることばかりです。
もし3時間とかかかりそうな課題とかがあるなら(そんなの全然思いつかないけど)、それは細切れにしましょう。
終わり!
このリストが出来上がるだけで、ちょっとは気分も軽くなっているはず。
罪悪感も少し和らぐことでしょう。
まぁ、これで終わっても良いんだけどさ…
もし良かったら、せっかくだし冷静になってそのリストを見てみてよ。
やればすぐに終わっちゃうことが意外と多くない???
20分とか30分とかで出来ることが多くない?
それを面倒くさがって後回しにして、溜めに溜めているのが問題なのです。
30分の勉強を3回サボったから1時間半もかかる課題に膨れ上がっているっていうだけ。
ちゃちゃっと、ササっと、サクッと、もうやっちゃいなよ。
そっちの方が絶対に気分が良いから。スッキリするから。
やらなきゃいけないことを先送りにしていると、頭の隅っこでずっとそれが引っかかっている状態になる。
スマホを見ていても『あー、やらなきゃな。面倒だな』って思うし、
テレビを見ていても『あの課題…』って思う。
課題って、消えて無くなることってないんだよ…。
結構しぶとく、どこまでも追い回してくるの。暇なんだよ、アイツ。
せっかくの楽しい時間が、全然楽しめてない。
むしろ、妙な罪悪感が募るばかり。
こんな状態、精神衛生上よろしいワケがない!
たった20分で出来るんだよ、大抵は。
それなら、サクッと片付けちゃおう!
終わらせるとめっちゃスッキリするよ。そのスッキリ感は結構気持ち良いよ。
どうせなら、
罪悪感なくスマホを楽しみましょう!
さ~て。
ブログも更新出来たことだし、ゲームしよ♡
最近やってるゲーム。可愛くって楽しいよ!
やることやってからするゲームって気持ち良い…!!(笑)
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家庭学習で見られる親子バトル
子どもが受験したいと言った時、塾に行かせる親もいれば、家庭学習で全力サポートをする親もいる。
塾のメリットは、
- 受験についての情報をたんまり持っている。やはりプロ。
- 同じ目標を持つ仲間がいるので、本人のモチベーションになる。
- 通塾の時間は気分転換にもなる。
一方デメリットもある。
- 他の生徒との比較が否応なしになされる。やる気が削がれる。
- 授業のスピードは、個人指導だろうが集団授業だろうが、やはり塾のペース。
- 子どもの様子が断片的にしか分からない。ゆえに、成績が上がらない原因が分からない。
このような表裏一体のメリット・デメリットにより、家庭学習にシフトするご家庭も多いようだ。
家庭学習は、もちろん保護者の時間的な負担は大きいが、料金的には市販のテキストだけで済む。専業主婦であれば、受験期間の家事は後回しにして、お子さんへの学習指導に時間を割くことも理論的には可能だ。
しかし、その中で絶対に生じるのが「親子バトル」。
母「どうしてこれが分からないの?ついさっき説明したじゃない」
子「だってお母さんの説明が長いんだもん!」
「今言ったことを、そのまま当てはめれば良いだけじゃない」
「全然意味が分かんないの!」
これは避けられない。
どうして親子バトルが起こるのか、その理由は簡単だ。
親は大人なので、ある程度切り替えが可能だ。
相手は自分の娘だけど、今は受験のために勉強を教えている。娘だけど、甘えはなし。
そういうことが出来る。
でも、子どもは絶対に出来ない。
それが出来るなら、とっくに勉強が出来るようになっているし、親に勉強を教えてもらおうなんて考えもしない。適切な場所へ行き、適切な解決策を自分で見つけられる。学校の先生に質問したり、塾に行きたいと言ったりするはずだ。
子どもにとって、親はどんな時も「親」だ。
時に厳しく、時に甘い。自分の気持ちを汲み取ってくれて、その上で厳しくされたり、甘えさせてくれたりする存在が「親」だ。
勉強を教えてくれていても、ご飯を一緒に食べていても、テレビを見ていても、全部同じなのだ。
親側としては、勉強を教える時の自分の立ち位置と、テレビを一緒に見ている時の立ち位置は全く異なるだろうが、子ども側としてはどちらも「親」であることには変わりない。
子どもはいつも、親を「親」として見ている。勉強中だろうがテレビを見ている途中だろうが、気持ちが乗らない時は甘えたいし、辛い時にはそっとしておいてほしかったりもする。
家庭学習での親子バトルは、こういう齟齬が原因だ。
子どもが求める「親」としての役割と、親が子どもに与えている「親としての行動」とがズレているのだ。
それをどうするか。
その答えを出すのは私ではない。ただし、その答えを出すためのサポートは出来る。
私は心理士。そんな私が家庭教師をする。
その意義が、こういうところでガツンと生きてくる。
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成長痛を面白がる
『好きなことをして生きていこう』
なんかそういう文言がここ数年多くなっている気がする。
つらい会社勤めをしても、終身雇用とは限らない。
給料が順当に上がっていくとも限らない。
ICTの発展によって目まぐるしい変化を見せる社会のなかで生きていくためには、好きなことをして、自分の武器を増やす・磨くことが大切だ…。
ざっくり言えば、そんな論調。
私はこのような論調に概ね賛成だ。
嫌いなこと、苦手なことはしなくて良いと思う。
現在では色んな人とつながることが可能になった。つまり、自分が苦手だなと思っていることでも、それを得意とする人がたくさんいて、その人にお任せすることが可能になったのだ。
大切なのは、
自分の好きなこと、得意なことをどんどん伸ばす
ということ。
ただ、ここでちょっとした罠が待ち構えている。
好きなことをしていると苦しくない。
それって本当なのか?
好きなこと・得意なことをどんどん伸ばす、というのは、つまり、極めるということだと思う。「好きこそものの上手なれ」精神で、どんどん努力して、どんどん上達する。
そして、『よし、これを仕事にしよう』と思う。
仕事にするからには、もうひと踏ん張り、高みを目指さないといけない。
その道中、好きだったものや得意だったことが嫌いになったり苦手意識を持ったりもする。それでも、根本にある「やっぱり好き」という気持ちをモチベーションに、その苦境を乗り越える。
好きなことをしましょう、と勧める人は、好きなことを極めようとした先にある苦境を全然教えてくれない。
さらに、「好きなことしかしなくて良い」という論調のせいで、成長のためには必ず通らなければならない苦境を避けて通るようになる。結果、何も極めることが出来ない。何事も中途半端な状態で終わる。
好きなことをして生きていくって、モチベーションは確約されているだけで、苦境や苦難がないというわけではない。何かを極めるときに、苦しい思いをするのはたぶん避けては通れない。苦しいけど、根本にある「それでもこれが好き」というモチベーションに支えられて、乗り越えるものなんだと思う。
まさに、自分との戦い。
どんなに好きなことでも、それを極めようとすると苦しい時期は来る。それを面白がるか、ひたすら耐えるか、乗り越え方は人それぞれ。乗り越えると、一気に出来ることが増えて、より一層好きになる。そして、またやっぱり苦しい時期が来る。そうやって繰り返して、どんどん極めていくのだろう。
どんなことも、極めようと思ったら、成長しようと思ったら、ちょっとした痛みは伴うのだ。まさに成長痛みたいな感じ。
成長痛を、楽しもう。そしたらきっと、どんどん面白くなる。
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どうして勉強するの?
どうして勉強するの?
どうして勉強しなきゃいけないの?
誰しも一度はぶち当たる疑問。
自分自身のなかでふと疑問に思うこともあれば、大人に投げかけることもある。自分が大人の立場になったときに、子どもに投げかけられることだってあるだろう。
答えはそんなに難しくないと思う。
どうして勉強するの?
それは、この世界をより良く生きるため。
勉強って、最悪やらなくても生きていける。
学校の勉強も、点数が悪くたって死にはしない。資格試験だって、必要がないなら受けることもない。別に勉強ができなくったって、就職はできるし、仕事はできる。
避けて通ろうと思えば、いくらだってやり方はある。
だから、勉強なんてやりたくないならやらなくても良いと思う。
でも…
例えば美術館。
何かの絵を見て、なんだかとっても綺麗だなぁと思える絵に出会ったとしよう。
それだけでも十分幸せなことだ。
でも、それに加えて、例えばその作者が生きた時代のこと、その作者がどんなことを思いながら書いたのか、そういうことを知ると、その絵に一層の深みを感じることが出来る。
深みのある人生。それってなんだか、より良い人生だと思わないだろうか。
ちょっと怖くなるような話かもしれないが、この世には、何も知らない人や何も知ろうとしない人を騙す人だっている。
人の悪意から自分の身を守るには、自分なりに勉強して、自分の意見を持つことが必要だ。それしか方法はない。
自分の身を守るそのやり方も、人生をより良く生きるための知識も、そういう情報は、自分で得ようとしなければ手に入らない。
学校に行っていれば教えてくれる情報なんて、たーぁくさんある情報の中のほんの一部だ。
私たちが人生をより良く生きようと思ったら、学校では教えてくれないたくさんのことを自らの意思で学んで、吸収して、糧にする必要がある。
勉強って、何も学校の数学や物理、国語や英語だけじゃない。お金のことだって、戦争の歴史のことだって、とてつもなく悲しいことが起こったときにどう対処するかだって、全部勉強だ。
これらのことは、別に知らなくてったって生きてはいける。
知らないせいで、お金で苦しむかもしれないし、生きている意味が分からずに苦しむかもしれないし、悲しいことがあってもそこから抜け出せずに苦しむことになるかもしれないけれど、それでも生きてはいける。
誰かに騙されるかもしれないし、損するかもしれないけれど、それでも生きてはいける。
自分がどう生きていきたいか。
そう考えてみたとき、勉強の必要性が浮き彫りになるはずだ。
「本当の勉強」ってのがあるんだぜ
高校生までの私は勉強がまじでめっちゃ嫌いでした。
でも、大学生になって「本当の勉強」に出会い、『まぁ…やってあげても良いけどさ…?』みたいな、え?ツンデレ??みたいな感じになりました。
今日はそんな話をしたいと思います。
勉強の何が嫌って、まず期限が決められていること。しかも結構タイトなスケジュールだったりする。
定期テストが5日間あって、それが終わったら模試があって、明日までに数学の宿題を提出しなくちゃいけなくて、化学は明後日までで……って、無理じゃね?どこにそんな時間あるの???どこに行ったらもらえるの????
なんかずっと、一方的に押し付けられた期限に追われてる。鬼追われてる。
学生なんて勉強だけじゃない。部活もあるし、友だち関係の色んなことで頭の中はいっぱいいっぱい。『子どもは勉強が仕事とか言った奴、まじ禿げろ!』ってずっと思ってた。仕事以上に大切なことが目の前に死ぬほどあるんだ…!!!
そしてもう一つ、勉強の嫌なところは、なんだか達成感が薄いところ。
進学校とかになると、もはや何かしらのテストがほとんど毎日行われる。このテストが終わったと思ったら、また次のテスト。そもそも勉強以外にもやること多すぎて時間がないので、テスト対策もその場しのぎ。
テストを受けた時は『あー、やばい。全然出来なかった。まじ本気で勉強しなきゃ』とかって思うのに、返却された時には熱も下がっていて『まぁこんなもんか(てへぺろ)』ってくらいの感想になる。衝撃の温度差。もはや人格変わったんじゃないかと疑うレベル。
たぶん、ずっと学校のスピード?周りのスピード?にしがみついていたんだと思う。本当に必死だった。
・・・
そんな荒れた高校生活を送っていたんですが、大学生になって変化します。(文体もね、落ち着くよ)
大学生になると、良い意味で一人になる。世界も一気に広がる。必死にしがみついていないといけないような“流れ”もない。
色んな人が、色んなやり方で、色んなペースで、それぞれ生きている。
それで良いんだ…。
…ってか、それしかないんだ。
自分のペースで生きていく し か な い んだ。
そんな当たり前のことに、大学生になってようやく気付けた。
でもこの気付きが、私のこれまでの勉強への気持ちを一変させます。
今までは、「とにかく課題を終わらせる」「とにかく授業を受ける」だけでした。答えを写して、提出できる形にする。理解してるかどうかは二の次。
でも、自分のペースでやっていくしかないって気付いてからは、例えば
- 友人が3時間で終わらせることが出来る課題も、私は5時間かかる。仕方ない。5時間の時間を作ろう。
- 友人が1回聞いたら分かる授業も、私は3回聞いても全然分からない。仕方ない。これ以上時間もないし、どこか一部だけでも分かるようにしよう。
こんな風に変化しました。
時間がかかっても仕方ない、だってそれが今の私の能力なんだもん。
そんな風に良い意味で諦めがついたのかもしれません。
すると不思議なことに、今までキライでしかなかった勉強が、あれ?なんかそこまで嫌じゃないかもって思えるようになったのです。
それまで勉強って、分からないことだらけだと思っていたのですが、辛抱強くやってみると大抵は最終的には「なるほどね~。そういうことだったのね」というところに落ち着きます。特に、学生のうちに出会う ”答えのある問題” は全部そうです。(世の中には "答えのない問題" がたくさんあって、答えのある問題を解くのは得意で偉そうにしているのに、答えのない問題は全然解けないし「答えがないんだから」って言って解こうともしない大人がたくさんいるんだぜ。…という余談は置いといて…)
ってか、そういうところまで落ち着かせるのが本来の勉強だと言うんでしょう。
分かんない!もういい!答え写す!で終わらせるのではなく、
分かんない!なんで?どういうこと?という疑問に対して自分なりに答えを出す。出そうとする。
それがたぶん、本当の意味での勉強なのだと思います。
本当の勉強が出来るとたぶん学校も楽しくなると思う。ってか、生きることが楽しくなると思う。私がそうなったように。だから、そういう人が増えれば良いなって思います。
私も、これからもちゃんと本当の勉強が出来る大人でいたいな。
理解する(しようとする)ことって、勉強だけじゃなくて生きる上で本当に大切だと思います。
理解できないことだらけの人生って、たぶん辛いし、面白くない。理解できないことなんてたくさんあるけど(ってかそっちの方が多いけど)、そんな中のほんの少しでも理解できた方が面白いと思う。小さな小さな理解の積み重ねが、生きていくうえで効いてくるんじゃないかって思っています。小さな理解って、暗闇の中の小さな光って感じがする。
って考えると、「人生は一生勉強だ」って言葉は、もしかしてめっちゃ良く出来た言葉なんじゃないか…???……って思ったり、思わなかったり。
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やる気がどうにも出ない時
これまで散々「毎日少しで良いから勉強をしましょう」と言ってきましたが、生きていると『どうにもこうにも、今日はやる気が出ません…!!!!!』という日がありますよね。
そういう時って、どうすれば良いのでしょうか。
いくつか方法があります。
やる気が出ない時の行動その1
【やる気がなくても、ほんの少し取り掛かる】
これが結構効きます。
しかもこれ、どっちに転んでも良い感じになるんです。
どういうことか説明します。
本当に、ほんの少しで良いんです。だってやる気がないんだから。
今日いつも通りのコンディションだったら何をしていたか思い浮かべてください。
あれとこれと…、あぁ、あとあれも。
何個か思いつきますよね。
それを、ほんのちょっとだけ取り掛かりましょう。
ほんのちょっとです。例えば「準備だけする」とかでも良いんです。
明日はやる気が元通りになっているかもしれないから、明日スムーズに取り掛かれるように準備だけしておく。机にノートと教科書を広げておくとかね。
10問解くつもりだったんなら「1問だけ解く」とか。
するとたいてい、以下に書くどちらかの状態に転びます。
パターン1
ちょっとだけ取り掛かってみたら、なんかもう少しやれる気がしてきた。ってかちょっとやる気回復したかも…。いいや、このままやっちゃおう。
↑もうこれ、めっちゃ王道。
やる気って、常に漲っているものではなくて、こうやって少し走り出した時に湧き出てくるものなんですよね。何もしなくてもやる気がある状態のほうがむしろレア。“やる気”の正体ってこんなもんなんです。
もう一つのパターンはこんな感じ↓
パターン2
準備はやったけど、やっぱりやる気は出ないや…。よし、今日はもう終わり!
↑こういう時もあります。
もう何やってもやる気がない時。たぶん疲れてるとか、精神的に弱っているとか、そんなところです。でも、これの良いところは、『やる気がないのに、最低限のことはやった』ということ。
最低限のことはやったので、サボるにしてもかなり気持ちが晴れ晴れしているはずです。だって、『こんなにやる気がないのに、それでも最低限はやった』から!!!!!!
えらい!!!!!えらすぎる!!!!!
最低限やったのだから、もう大丈夫。思う存分、他のことをしましょう。
ほんの少し取り組んでみて、それで波に乗れたらラッキーだし、もし波に乗れなくても『こんなにやる気がない時でも』自分は最低限のことはやったんだ、という自信はつく。どっちに転んでも良い感じになる、というのはこういうことです。
でもやっぱり、『もう本当に、何もしたくないです!!!!!!』って時もあるはず。
そういう時は開き直って休みましょう!!!
やる気が出ない時の行動その2
【開き直って思いっきり休む】
たくさん寝るも良し、たくさんゲームするも良し。
「今日はもうやらない!」って決めちゃうんです。
もしかしたら昼になったら出来るかも…
もう少し待てばやる気が出るかも…
そんな淡い期待は潔く捨てる!!!
そして、自分が喜ぶことをたくさんしましょう。
大事なのは、大胆に開き直ること。後ろめたく思わないこと。
そして、自分が楽しいって思えることを存分にすること。
この二点さえ守れば大丈夫。きっといつかちゃんと勉強する体制に戻ります。
やる気の出ない時は無理しない。
ただし『結局何も(楽しむことも)出来なかった…』という一日の終わり方はしないこと。
『やる気ないのにこれだけやった自分はえらいなぁ』とか、
『今日は思いっきり楽しんだ!休んで良かった!リフレッシュした!』とか
そういう清々しい感想が言えるような一日にしましょう。
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「継続は力なり」はマジ
突然ですが、今回はダイエットの話をしようと思います。
とは言いつつ、“ダイエット”という言葉を書いているだけで、なんだか気が重くなってきます。なーんか他に面白いことないかなぁ~と、目を背けたくなる…。
そんなダイエット。
勉強ととても似ていると思うんです。
ダイエットって、やってみても全然すぐに痩せないですよね?
1日や2日やってみたところで、正直まったく変わらない。
我慢強く1週間続けたとしても変化なし。特に見た目。
こんなにお腹は空いているのに、あんなに我慢したのに、それでもやっぱり見た目が変わらない。なんなら体重もそんなに落ちない。
それもそのはず。
ついた脂肪は、落とすのに3倍の時間がかかるらしいです(ガーーーーーーン!!)
つまり、1年間で徐々に10キロ増えたとしたら、その10キロを落とすためには3年かかるということ(ガーーーーーーーーーーーーーーン!!!)
ダイエットのつらさは、この成果が出にくさにあります。
特に見た目はほとんど変わらないので、『こんなことを続けていて、本当に意味があるのか…?』と思ってしまいます。
勉強もまったく同じです。
1日や2日、がっつり8時間勉強したからって、急に成績が伸びるわけではありません。
1日2時間の体験講座に3日間参加したくらいで、その教科が劇的に上がるわけがありません。
なのに思うんです。
『こんなにやったのにどうして成績が上がらないんだ…。やっぱり勉強なんてやっても意味がない』って。
巷に溢れる「簡単に痩せる」も「簡単に成績アップ」も、確かに簡単は簡単です。
毎日10分筋トレするだけ。毎日20回スクワットをするだけ。
毎日1問、問題を解くだけ。毎日10分、本を読むだけ。
やること自体は「簡単」です。
でも、どれもこれも重要なのは「毎日」。
つまり継続。これが一番大切で、一番難しいことなんです。
続けられる人って、実はめっっっっっっちゃ少ないんです。
たぶん、10人いたら9人は続けることが出来ません。
うそ~んって思うかもしれないですが、本当です。
それくらい“続ける”って難しいんです。
でも逆に、続けることさえできれば、それだけで勝ち組!ってこと。
このことを理解して、続ける工夫が自分の中で構築されれば、勉強以外のことにも応用して色んな成果を出せるようになります。そう、ダイエットもね…(笑)
結局なんでも成果を出すためには継続することが大切なんです。
とにかく継続…!
そうすると1週間後、1か月後、3か月後、どこかのタイミングで急に成績が伸びだします。色んなことが変化していきます。そして1年後には誰もが驚くような成長を見せます。
結果が出ると信じて、焦らず、欲張らず、淡々と続ける。
これが一番大事で、一番ラクで、一番の近道です。
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